『主よ、人の望みの喜びよ』その後(トリコとココ。トリコ目線ss)2013/7/13
※ねつ造の食材と過去が出てます。
「で、うまいこといってんのか?」
「…おかげさまでね」
目の前の陰気臭い男…(長い脚をさも邪魔くさそうに組み、長ったらしくて一度聞いたくらいじゃ覚えられない香草をいくつか組み合わせた自作のハーブティを手ずからいれ、きっと他の奴がみたら『優雅』に見える仕種で音も立てずに口に運んでいる)ココは、いかにも「目障りだ」と言った視線をトリコに一瞥だけくれてそれだけ呟いた。
断崖絶壁、陸の孤島…とにかく人との交流を避けてます、を体現した立地に建築された家に、わざわざ手土産持参で足を運んだトリコを歓迎してはいないようだ。
もとより歓迎されないだろうなと予想していたので特に感慨もないが、こうも予想通りの態度をとられると少々肩すかしな気分でもある。
歓迎はされていないが、トリコの為に用意された「もてなしの料理」を目の前にして、どうでもいっか、と特に深くも考えずとにかくあるだけの料理を口に運ぶ。
その様子を見て何か言いたそうにしたが、言うだけ無駄だとあきらめたのか、手近にあった台布巾をほってよこしただけだった。
「…で、なんの用だ。わざわざ『こんな』所にまで」
「ほりゃほめぇ…」
「口の中のものが無くなってから話せ」
トリコは言われた通りにごくり、と飲み込んで、口の周りに付いた食べかすも手の甲で拭う。
ものすっごくしかめ面で睨まれたが、今さらだ。
「小松がこっち来てるかなと思って」
程良く冷めたハーブティとやらを、ずずっと音を立てて飲む。
やたら香りは甘い。くどい味でもしてるのかと思ったが、飲んでみると先ほどまで食べた料理の味をすっきりと流してくれ、さっぱりとした後味だけが口内に残った。
「小松くんが?どうして?」
「いや、だってアイツ今日休みなのによ。ハント行こうぜって誘ったら断られたしさぁ…」
だからお前と先約でもあったのかもと思って。
「…小松くんがボクと先約があったとして。…なぜお前がここに来る必要がある?」
「オレとのハントを断ってまで優先するって言えば、お前ん所かなぁと思って?」
「質問の意図を履き違えるな。なぜ、おまえが、ここに、来る必要が、ある?」
わざわざ区切ってまで強調しなくてもよ。
「や、アイツに料理してもらおうと思った食材があってさ。小松がいなけりゃまぁ、お前にでも頼もうかと思って」
そういって、手土産としてもってきたとある食材を袋の中から取り出す。
(手土産だというのに、自分で食べる気満々なのはトリコにとってごく自然な事であるようだ)
「…へぇ…等分桃か。珍しいものを獲ってきたな」
「だろ?先日行ったハントで獲ってきた分がようやく熟してさ。けどこれよぉ…」
「…まぁ、お前には難しいだろうな」
とうぶんとう…。その名の通り、等分割すればするほど甘みが増すという桃である。
「まぁな。そのままかぶりついた所で味はしねぇくせに、ちょっとでも切り方がずれるととたんに不味くなっちまうっていうやっかいな果物だよなぁ」
器用なくせに繊細ではないトリコではこの食材を扱うのは無理ではないが苦労しそうな品である。
スパリ、と手刀で桃を器用に半分にする。
「…っはぁ…、オレは一回が限界。これ以上集中するのはだるい。でももっと甘ぇの喰いてぇんだよなぁ…」
半分に切った桃を一口で頬張り、咀嚼も無しに飲み込む。
「そうだね…小松くんなら多分、何分割にもして、最上級の甘さを引き出すだろうね」
カタリ、と席をはずして台所から果物ナイフと皿を手にして戻ったココは、机の上に置かれた等分桃をさっさと四等分にまで切り分けた。
「さっすが!」
「ボクはこれくらいの方が甘さ控えめでいいんだけどね」
「オレはこの倍以上は甘いのが喰いてぇんだよ」
そう言いながらもココが切り分けた等分桃をさっさと口に吸いこんでいく。
「これ以上はボクも…失敗する確率が増えるだけだな…」
「やれば出来るって!なんたってフグクジラを捌ける腕前なんだからよ!」
「簡単に言ってくれるね…」
そう言いながらも机の上に転がっている桃に手を伸ばす。
「で、小松の抱き心地はいいのか?」
「あ、ごめん、失敗したみたいだ。でも責任もって食べてくれるよね?」
はい、どうぞ?と付け加えて、八つに切り分けられた(無論、等分割ではない)等分桃をご丁寧に皿の上に乗せてトリコに突き渡される。
おお…最上級の微笑みまで添えてくれるのか。
ごくり、と固唾をのんで、「いただきます…」と蚊の鳴くような声で皿を受け取ると、意を決して桃を口にする。
「───〜〜〜〜〜〜ッガァアアアアアア!エグい!むっちゃエグいぃぃぃぃイイイ!!!」
苦さとかではない。渋みも通り越した、ただの灰汁の強い液体がトリコの口内に広がる。
しかし皿の上に乗せて出されたものをトリコは残すことが出来ない。
これ以上ない不味さのものでもトリコは絶対に残さない。己に課したポリシーだ。
等分桃は失敗を重ねるほどえぐみを増し、より本来の味から遠ざかる。
いつもなら美味さで流す涙が今はやけに目に染みる。
最後の一切れをようやく口にし、無理やり喉の奥に送り込むと、先ほどココが淹れくれたハーブティーをがぶ飲みする。
今の今まで口内に充満していた不快な感覚が一切合財きれいさっぱり無くなった。
…ここまで予見してこのお茶を淹れたのであろうか?
なんて恐ろしい奴だ…
冷や汗をかいているトリコに涼しげな視線を送るココは、口だけニコリと笑ってさらにもう一つの桃を手にし、ナイフを入れようとしていた。
「で?なんだって?」
「悪かった!オレの口の利き方がまずかった!頼むから桃から手を離してくれっ!!」
ココの手から桃をひったくると、机の上に出した桃すべてを袋に戻す。
「…これでもなぁ…お前らの事、心配してんだよ…」
「そうだね、ありがたいことに、精いっぱいのエールも送ってもらえたしね」
あ、こいつ、相当根に持ってやがる。
さんざん、二人の仲を邪魔したことを一生涯忘れる事はしないんだろうな。
きっちり、三倍返し以上の報復をしたくせに。
サニーなんてまだ引きこもって怯えてるんだぞ。
研究所の一室の片隅で「毒怖い毒男怖い」と言って震えている哀れな男を思い浮かべる。
「いや、だってなぁ…お前と小松だぜ?まさか上手いこと事が運ぶとは思わねぇじゃんかよ」
「どうして?」
なにが不思議?と秀麗な顔を崩すことなく問い返してくる。
気のせいではなくココの背後に黒い影が滲み出ているが。
「『お前』と『小松』だぜ?」
同じ言葉を紡ぐ。
「…仮に百歩譲ったとして、小松が受け入れるのは認めるさ。アイツはああ見えて懐の深い奴だからな」
多分、トリコが今まで出会った人類の中で一番の度量のでかさの持ち主かもしれない。
最初は怖気づくものの、最後には結局全てを受け入れるのだ。
「さらにアイツは面食いだ。『容姿が全てじゃない』みたいな事いいやがるが、あいつの周りに集まる奴の面思い返してみろよ。だいたいが男前に入る部類の奴らばっかりだぜ」
顔だけではなく、人間的にも男前な奴らが小松の周りには集まる。いや、残る。
小松は人を惹き寄せる。そしてふるいにかけられたかのように、残るのは「いい奴」ばかりなのだ。
「どっちかっつーとアイツ自身おもしれぇ顔してるのにブオン」
「…とてもチャーミングで可愛いらしい顔だろ?」
もちろんです当然です異論ありませんと、コクコクコクと激しく顔を縦に振る。
トリコの発言中に被さった擬音は風が空を切る音だった。
振り返って確かめはしないが、後ろの壁には果物ナイフが根元まで刺さっているのだろう。
はらりはらりと舞い降りているのは青く細い…トリコの髪。
あと数ミリずれていればトリコの左耳の傷は4本に増えていただろう。
首筋に冷たいものが伝わり落ちる。汗が幾筋も流れてはシャツに滲み込む。
「…小松はいいとして。…お前が。そこまで小松に入れ込むとは思わなかったんだ」
「ボクは元々粘着気質だよ」知ってるだろ?
「知ってる。けど、『人間』には当てはまらなかっただろう」
「対象になる人物がボクのまわりにいなかっただけさ」
小松くんにはその価値がある。
ボクなんかが及びもつかないくらいのね。
今まではいかにも作ってました、と言わんばかりの笑顔が、柔らかい笑みに変わった。
「ボクの根本は何も変わっていないよ。…でも、少しは成長出来たのかもしれない。それは…全部小松くんのおかげだ」
今この場にいない小松に思いを馳せてココはうっそりと呟く。
トリコは目の前の男をしげしげと眺めた。
そうか、こういう表情も出来たのか、と不思議なものを見つめる様に。
昔から、オレ達といる時だけは柔和な顔をしていたが、それとも違う。
ただ一人の男として、相手を思いやる時に浮かべる特別な顔。
(そうか…お前は見つけたんだな…)
無二の存在を。
そして手に入れたのだ。
「良かった」
願っていたから。
「お前が…お前らが幸せなら、それでいい」
「──…トリコ…」
ココはおもむろに席を立つと、奥へと消えていった。
多分地下室だろう。何階まであるのかは知らないが、かなり地下深くまであるらしい。
足音も聞こえなくなり、一人残されたトリコは手持無沙汰に室内を見渡す。
家主の性格が色濃く表れた棚。
さまざまな香辛料や何かの食材がきっちりと分類され、所狭しと並べられている。
(…よくこれだけあるのに匂いが混ざらねぇな。品質管理がしっかりされてるんだろうが…)
混ざるどころかほとんど匂いがしない。
この家の不思議な事の一つだ。
どこから電気が通っているのか、水を引いているのか、ガスは?そして建築構造は?
それらは金に飽かせばなんとかなるのかも知れないが、匂いだけはどうしようもないはずだ。
なのにトリコはこの家に足を踏み入れても不快な思いをした事がない。
嗅覚はずば抜けて良い自分が、それをほとんど感じられないのも不思議な事だ。
適当な壜を一つ手に取り蓋を明ける。
とたん、室内に充満するかのように香りが広がった。
自分の鼻が鈍ったわけではないようだ。
気密性の高い容器のおかげで匂いが外に漏れ出ないのか。
きっちり口を閉めて元の棚に戻すと、足音が戻ってきた。
「トリコ」
声をかけざまに何かを放ってよこす。
パシリ、とトリコの手の中に納まったのは透明なプリズムのようなもの。
光を反射、屈折させて所々虹色に輝かせているが、中心部分に一筋の黒い線。
「なんだ?」
習性で匂いを嗅いでみるが何もしない。
赤子でもないのについ口に入れて確認しようと、舌を出してひと舐めしようとした時、
「若気の至りで作ったものだ」
と。
あわてて舌を引っ込める。
「なんだよ!怖ぇ事いうなよ!なんなんだよっ?!」
「特殊なクリスタルで作ってある。落としたり投げたりしたくらいでは割れないが、少しでもヒビが入れば…」
そこからあっさり割れる。お前の握力ならヒビくらい入るだろうと。
「人がいる所で割るなよ。大量殺人犯になりたくなければな」
その言葉にわたわたと取りこぼしそうになる。
「なに物騒なもの渡してくれてんだよっ!ナニ?なんなの?!」
繊細なガラス細工を取り扱うように両手でそっと包み込むと、なるべく自分の身体から離した位置で恐る恐る再視認する。
「昔…ちょっと実験でね、試しに作ってみたんだ。…その時は未来なんて考えていなかったからね」
『その時』…
ココが昔を懐かしむ目で遠くを見た。
きっと、ココが一番苦しみ、自暴自棄になっていた頃を思い出しているのだろう。
庭にいた時なのか、庭から出た後かはわからないが。
トリコは非情にも、さっさと一番に庭を出た。
だから、残った三人のその後の詳細を知らない。
気にはしていたが、トリコ自身が庭にいる事に限界を感じていたからだ。
悪い、とは思ったが、閉じられた世界にいる自分、外を餓える自分をごまかす事が出来なくなったから飛び出た。
自分の事で精いっぱいだった。
他人を気遣う余裕が無かった。
何年かして、ようやく落ち着いたと自分で思える頃、いろんな噂を聞いた。
悪い噂が多かった。
特に、ココを一番心配した。
──『第一級危険生物』に指定された───…
あの時ほど、自分一人逃げ出したことを後悔したことは無かった。
なぜ、ココを連れていかなかったのかと。
一番危うい均衡を保っていたのはわかっていたのに。
なのに、自分の事は後回しでトリコを心配し、トリコが庭から出るのに一躍買い、笑って送り出してくれた。
その笑顔が儚い事に気付いていたのに、気付かないふりをした。
長兄然なココに甘えたのだ。
トリコが再びココと再会した時、ココは「大人」になっていた。
依然と変わらぬ態度でトリコを迎え入れ、毒舌を混ぜながらも近況を心配してくれた。
ほっとしながらも、幾重にも厳重に重ねられた強固な壁を築き上げているココに気付いた。
取り返しのつかない事をした、と。
後悔しても遅い。
ならば今からでも、自分に出来る事をしようと、トリコは決意した。
今更「守る」ことは出来ない。彼自身がすでに己を守る術を手に入れているから。
そして他人に守られるなど彼の矜持が許さないであろう。
自分が出来る事──それは、変わらず彼の傍にいる事だろうと。
昔みたいにバカやったり、ケンカしたり、時には心配かけたり、頼ったり。
そうやって自然体で接することが、唯一の贖罪なのだろうかと。
トリコが知らないココの過去。
どれほど凄惨な生活を送ったのか想像もつかない。
周りも誰も語らない。
ココ自身も頑なに口を閉ざしている。
「現在」しか考えられない状況。「未来」など無いのだと。
どれほどの闇がココの内に渦巻いているのか知るすべもない。
聞きたいとも…思わない。
「お前に預けておくよ」
どこか薄暗い光を湛えていた瞳が、今は濁ることもなく。
トリコをしっかりと見据えて。
「その毒は、ボク自身も分解、解毒出来ない。おそらく今後も」
猛毒をはるかに凌駕した毒。
自然、トリコの咽喉が上下する。
「いいか、使いどころを間違えるな。唯一、確実に」
ボクの息の根を止める事の出来る物だ。
「──なっ…ッ?!」
「お前にだから、託せる」
もし、ボクが間違ったら、お前が───…
「に、を」
言うのか、この男は。
意味深に、妖艶に笑みを浮かべると、事も無げに言い放つ。
「それで、全部チャラにしてあげるよ」
ああ…この男は。
トリコがひっそりと胸にしまいこんでいた、誰にも打ち明ける事の出来なかった重しまでも、見抜いていたというのだろうか。
「ボクは狂っているからね。自分の事に責任はとれない。だったら、後始末を頼む奴が必要なんだ」
これで安心したよ。お前にだったらボクも遠慮しないで済むしさ、とまるでちょっと出かけて来るから留守番よろしく、みたいな軽さでのたまった。
「狂っている」という発言にも突っ込みをいれたかったが、否定は出来ない。なぜならトリコ自身が「狂っている」かもしれないから。
オレ達が狂っていない確証がない。他に比較対象がいないからだ。
「普通」がわからない。
誰も教えてくれなかったから。
そんなオレ達が「普通」と共通認識しているのは───…
浮かんだのは一人の小男。
(彼を「普通」に分類するには間違いだと気づくのはもっとずっと後の事になるのだが──)
と、つらつら考えていたが…その後に続けられた単語…
後始末?あとしまつ…
それこそが先ほどの発言の重要部分なのだろう。
意味を考えて、考えて、考えて。
───……
え、あれ?前にもましてオレになんか精神的負担になってないか?
最終兵器みたいなものを手渡され、最終兵器そのものが壊れそうになったら周りを巻き込まずに事態を収集しろよ、的な?
ちょっ…それ、なんかとてつもない責任重大な事を言われてるような?
理解不能に陥り目を白黒させているトリコを可笑しそうに笑うココ。
「…ボクは今、かつてないほど幸せな日々を送っているよ。でもね、」
それがいつまでも続くなんて甘い考えはもっていない。
もちろん続くように努力は最大限する。
だけど、
「常に最悪の事態も予想しておくのがボクたる所以でね」
誰よりもボク自身がボクを信用していないのさ。
「お前はボクの本性を誰よりも知っているだろう?」
そして体質も。
いつ、本当に狂ってしまうかわからないんだ。
いつ、己が躰に巡る毒が制御できず、脳が破壊され、周りを巻き込んで世界を壊してしまうのか。
「──世界など、どうでもいい。でも、」
小松くんを巻き込むことだけは許せない。
悲しませることも、したくない。
「だから」
そうなった時、お前が。
「片をつけてくれ──…」
他の誰にも託せない。
ココの最期を。小松の行く末を。
「──そうなったら…誰よりも悲しむのは、小松だぞ」
「いっただろ、努力はするさ」
屈託のない笑顔で。
「…これでチャラって、どっちかってぇと、オレの負担の方がでかくね?」
「利子ってものがあるんだよ」世の中には。
まるで世間話でもしていたように、ふふ、と声に出してココは笑った。
トリコは手の中で煌めく凶悪な兵器に目を落とす。
「責任重大すぎねぇ?」
「そんな事ないさ、使いどころさえ間違えなければお前は英雄だ」
世界を救うね。間違ったらゼブラ以上の極悪犯になるけど、と。
お湯を沸かし、棚から茶葉を選んだココは新たにお茶を淹れる準備をサクサクと進めている。
「さ、お前、そろそろ帰れ。小松くんが起きてくる頃だから」
「は?!小松やっぱりいるのかよ?!」
いないとは一言もいってないよ。
しれっと言いながら先ほどトリコが盛大に食べこぼした机を片づけている。
「お前がいたら、小松くん、料理を作るのになけなしの体力使って大変だろう。ただでさえ疲れてるのに」
てことは疲れて体力も無くなる事をしたんだよな、お前が。という言葉は飲み込んで。
「え、でも小松の匂いなんて一切しないんだけど…」
いくら棟が違う所に居る(多分隣の住居にしているココの寝室に居るのだろうと予測して)とはいえ、小松がこの距離で居るのなら自分の鼻は気付くはずだ。
空気を嗅ぎ取るようにくんくんと鼻を鳴らしてみるが、小松の匂いはやっぱりしない。
「匂い物質って知ってる?」
「当たり前だろ」
「物質である限り、消すことは出来るんだよ」
分子だろうが原子だろうが存在するなら消滅はさせられる。
「気体だろうがなんだろうとね。それを壊すものを精製すればいいのさ」
苦労したけどね。とあっさり言い放つ。
ちょっとそれ、オレのアイデンティティの崩壊につながりませんか?
なに、お前の身体、なんでもありなの?
え、て事は何?お前らが付き合い出したころ、小松の身体から漂ってた色んな匂いとかココの匂いとかって…
もしかしてと思ったがやっぱりわざとだったのかよ。ひょっとして牽制だったのかよ!
何かを訴えようと口を開きかけたトリコにココは視線だけでそれを制し「おしゃべりはもう終わり」と口元にそっと指をあてた。
「ああ、でも本当に助かったよ。なにかの拍子でうっかりソレを傷つけてたりでもしたら、小松くんに害が及ぶ所だったから」
どうしようか困ってたんだよね、しっかり保管しといてね。と、さも肩の荷が下りたように飄々と。
「さっきまでの深刻な空気を返してくれよっ!!!」
「深刻だよ?ホントに困ってたんだ。だから、小松くんに絶対に害が及ばないようにそれを持ってどっか遠くに行っといてくれ」
試したことは無いけど、多分数キロから数十キロが効果範囲だからそれ以上離れといてよね。
それだけ言って、ポイっとゴミでも投げ捨てるかのようにトリコを家の外に放り出すと、バタンと無情な響きを残して扉が閉められた。
「マジか」
それだけ呟くことが出来たトリコは、なにやら同情する視線をなげかけてくれるキッスの胸毛にもふりと顔を埋めた。
最後、わざと茶化した言い回しにしたココの本意はわかっている。
(追い出したのも本気の本音だったこともわかってる、わかってるさ、ああ)
トリコに絶大の信頼を示したのだ。
トリコがココと小松を本気で心配し、二人の幸せを願っているのだと。
聡いココは気付き、汲み取ってくれた。
そして、トリコがココに対して後悔し、責を感じていた事も。
許しを乞いたかったわけでもない。
だが、一生、言葉にすることはないが、どこかに負い目を感じていたのも事実。
それを見破られたうえ、許しの形を与えてくれた気がする。
ココはトリコにそんなものを願ってはいないのだと。
全てが己が責任だと、どこか、聖職者が神に祈りを捧げる如く、清廉な覚悟で『生』を達観した所があるココ。
そう告げれば、鼻で笑われそうだが。
(清廉なんて一番縁遠い言葉だね、とか言いそうだ)
今は胸ポケットにしまわれたココの『覚悟』に視線を落とす。
本来なら、絶対に隠し通すはずだったろう『ココを殺す』毒。
形にして残していたのは、きっと自分への教訓と戒め。
それを、トリコに託したのは…彼の優しさに過ぎない。
(…ホント、かなり重大なモンをオレに託しやがって…)
気が重い。…が、今まで胸にわだかまっていたもやもやとしたものが溶けてなくなった気がする。
託された役目は、約束。
最後まで、ココの側に居ても良いという『赦し』───
最期を、見届けろという『証し』───
風を切り、雲一つない空を音もなく滑空するエンペラークロウ。
その背には空よりも蒼く透き通った髪をなびかせ、晴れ晴れとした顔で遠くを見つめるトリコの姿があった。
後日、トリコのもとに桃を使ったありとあらゆる料理が届けられた。
そのどれもが極上の甘みを湛えていたのは言うまでもない。
終
おまけのおまけ(ココマ)
「トリコさんいらしてたんなら呼んでくれればいいのに…」
「あんな大食いに付き合ってたら小松くんの疲れが一向にとれないでしょう」
「そりゃそうかも知れないですけど…」
何か作ってあげたかったなぁ、とぼやく小松。
当然面白くもないココは話を変えようと、トリコが持参した物を小松に手渡す。
「小松くん、これ切ってくれる?」
「わぁ!すごい立派な桃じゃないですか!お土産ですか?」
「そう、トリコがね。ちょっと切り方にコツがいるんだ。ちょうど真っ二つになるように切らないといけないんだけど…」
出来る?とやや挑発的に。
やってみせましょう、と鼻息を荒くして受け取った小松は、桃の身を傷めないようにそっと手を添えながらクルリと回転させて観察する。
「これって、切る方向とか決まってますか?」
「いや、どこからでもいいと思うよ」
聞くが早いか、ナイフを片手にさくり、と桃に差し込んで滑るように動かした。
「種もおっきいですね…」
力を入れ過ぎないように両手で捩じるようにして実を動かし、パクリと二つに分ける。
「えっと、縦なら縦、横なら横で切り方統一した方がいいんですかね?」
「どう切っても大丈夫だと思うよ。ただしきっちりと等分にさえすればね」
ふむ、と小松は再度桃をつかみ直すと、サクサクサクと止まることなくナイフを入れていく。
「も、もういいんじゃないかな?!」
そうですか?と手は止められ、皿の上に桃が乗せられる。
賽の目状に切り分けられた桃は…ひーふー…十六等分はされている。
「ひとつ、口に入れてごらん」
促すと、指先でつかんでヒョイと口に放りこむ。直後、
「うべぇ〜…───ッ!…ナニこれ…」
口に入れた瞬間、小松の顔がしかめっ面になる。
おや、失敗だったかと思ったが、続けられた言葉にココは相好を崩す。
「───あっまーーー!!激甘ですよ激甘!いやいやギガ甘?!美味しいんですけど、なんかこう、シロップの原液をさらに濃縮させたような…」
「──さすが小松くん」
甘すぎでこれもう食べ物の域を超えてますよぅ、とぼやきだした。
「どれ?」
小松の顔に影が落ちる。
「───………ッ…」
「─…ホントだ、甘いね」
目の前には熟れた桃より赤い頬。
ちろり、と唇に移った蜜を舐めとると、無言になった小松の手をとり、蜜にまみれた指を一本一本口に含む。
そのまま腕を辿って肘まで丁寧に舐り上げながら小松を見上げると、何か言いたそうな目とぶつかったが、小松の口から言葉は漏れなかった。
多分、抗議も抵抗も無駄だと悟っているのだろう。
ココがしたいようにさせてやれと思っているのかもしれない。
それならそれで好都合、と喜色満面で顔を上げたココにかけられた言葉は思っていたものと違った。
「これって…すり潰したり、加工しても糖度はかわらないんですかね?」
「…どうだろうね──…」
すでに小松の心はこの食材をどう料理するべきかに奪われているようだった。
いつの間にやら甘い空気は霧散させられてしまって。
料理人の顔つきに変わった男を前にして、どうして事をすすめられようか。
溜息ひとつ、もらしたココは「やっぱり小松くんは小松くんだなぁ」と再認識。
「まだまだいっぱいあるからね。色々試してみようか」
「はい!じゃあこれ…」
「まずはその前に食事にしよう?」
昨晩からまだ何も食べてないでしょう?
今はもう正午をまわっている。
とたん、空腹を意識したのか小松は素直に訴えた。
「はい!お腹空きました!…なにか有り合わせの物使わせてもらって…」
料理作ってもいいですか、と弾む声にココはまた一つ溜息をこぼす。
「たまにはボクが作った料理を小松シェフに召し上がって頂きたいんですが?」
慇懃にそう言うと、小松は今日一番の笑顔で応えてくれた。
「是非!ココさんの料理、大好きですから!」
料理だけ?とわざと拗ねたように言ってみると、わかってるくせに、とさらに拗ねたように返された。
この後二人で試行錯誤した数々のドルチェがトリコのもとに送られることになる。
終
・ちょっとだけおまけというか蛇足的なものを書きたかっただけなんですが、思ったより長文になりました。
・原作でのトリコさんとココさんの二人の時だけに醸し出される独特の雰囲気が好き…
なんですが、これを自分が上手く表現することは難しいなぁ…
※閲覧ありがとうございました!