「美味しい調理法」(2013/5/13)
・トリコマ
「うまいっ」
「うめぇ〜っ!」
「ほんっとサイコーッ!」
など、
いつもなら料理を一口、食べた途端に両手ばなしで料理と小松を褒める言葉が零れるのに、
今、目の前のトリコは黙々と、それでもひっきりなしに料理を口に運び込みながら何やら思案に暮れているようだ。
「あの…トリコさん…?」
お口に合いませんでしたか?と不安げに首を傾げる小松をよそに、ただ黙々と箸をすすめる。
「…どうやったら、うまく食べれっかなぁ」
ぼそり、と呟いたトリコの言葉に、脳天を激しく殴られた様な衝撃を小松は受けた。
(…、お、美味しくなかったんだっ…!今、出した食材を、ボクが今料理した方法以外の、より美味しくなる食べ方を知っているか、求めているんだ…!!)
今の自分の技術に甘んじてる小松ではない。日々研鑽し、より美味しい料理を食べてもらおうと努力を重ねているつもりだったが、
どこかで驕りでもあったのかもしれない。
それを、トリコは感じ、不満に思ったのか。
みるみる青ざめる小松に気付かないトリコは、出された食事をすべて跡形もなく平らげた後、ごっそさん、と小さく手を合わせて、小さく吐息を漏らした。
(──満足してない!)
いつもなら、とても満足気な顔で作り手の小松に美味かった、と笑みを浮かべて話しかけてくれるのに。
「ご、ごめんなさいっ!ボ、ボクの修行不足ですよねっ?!ど、どうしたら…どうしたら良かったんでしょう?!」
どうしたらトリコが気に入る料理が出来るのか。トリコが満足する調理法を知りたい。
料理人としてのプライドも何もない。ただ、目の前の男がその方法を知っているのなら、土下座をしてでも教えを乞いたい。
切羽詰った表情で詰め寄るが、そんな様子にも気付けなかったトリコも、どこか気がそぞろで。
「どうしたら…?…どうしたらって…」
そこで初めて気が付いた感じで、トリコが小松をじっと見る。
小男で、顔の造作もよろしくなくて、でもどこか愛嬌があってかわいらしく思えて、気が小さいのかと思えば予想外に図々しくて度胸があって、料理の腕は言わずもがなで。
常に、ではないがトリコの周りをちょろちょろしててトリコの為に全力を尽くそうとしてくれる、いや、尽くしてくれている、今となっては無くてはならないトリコのパートナー…
トリコはこの小さくも頼もしいパートナーに懸想をしていた。
多分、ずっと前から。
それに最近ようやく気付いた。
小松が自分の傍にいる時、それだけで満足しているのに気付いた。
声はたまにうるさく感じるが、それ以外は常に心地よい。
ハントの時はヒヤリをさせられる場面もあるが、自分に向けられる笑顔や差し出される小さな腕。
どれもこれもがトリコに充足を与えてくれた。
何よりも胃が満たされた。
「餌付けされた」自覚はあるが、小松の作る料理はトリコに合った。
手間をかけずに出された料理(野外で、調味料など限られている時)から、ものっすごく時間と手間をかけた料理まで。全てが。
どんな料理だろうと出されたモノは残さず食べるトリコにとって、それでも小松の料理は特別だった。
食材が特別なわけでもない。調理法もさして他の料理人と変わるものでもない。小松よりも凄腕の料理人もたくさんいる。
それでも。
(何が違うんだろうな?)
不思議に思った。
同じ食材、同じ調理法で、小松と小松以外の料理人に同じメニューを作らせたとする。
多分トリコは小松の料理を見抜き、それをより美味いと思うだろう。
小松は普通だ。どこにでもいる料理人だ。特にずば抜けて何かが出来るわけでもない。
(食運があるのはここでは関係ないだろう)
─なら何が違う?
小松が他と変わりないなら、違うのは自分?
そこでトリコは初めて考えた。
(オレにとって…小松が特別?)
頭をひねる。
たしかに特別だ。それは自覚がある。
今までトリコの側にいたのはごく限られた人間だ。
昔馴染みがほとんどだが、彼らとは対等な関係が築けている、と思っている。上下関係は無い。
上下関係の人間もいるが、それはそれで割り切っている。
なら小松は?
コンビを申し込むくらいには特別に思っている。
快諾してもらえて内心ほっとした。
側にいて欲しい料理人。
自分のフルコースを作って貰いたい料理人。
料理人だから。
だから?
料理人に知り合いは多い。
自分が美食屋だから、料理人に関わる機会は多い。
何度かコンビになってくれ、と誘われたこともある。
だが、その時は気が乗らなくて断っていた。
コンビを組むつもりもなかったし組もうとも思わなかった。
「オレについてこれる奴はいない」
そう思っていた。
小松ならついてこれると思ったのか?
また、頭をひねる。
ついてこれるとは思っていない。
身体能力はほぼ皆無な小さな料理人。
むしろ足手まといだろう。
なら何故コンビに?
(ああ、違う…)
ついてきて欲しいと思ったのではない。
「一緒に歩んでいきたい」
そう思ったのだ。
歩幅を合わせて。
愕然とした。
今までそんな事を考えたことが無かった。
なのに無意識に選んでいた。
自分の未来を。
この小さな料理人と。
共に居たいと願う心を。
頭で考えたのではなく。
本能で選んだ。
この「特別」には意味がある。
トリコは考えた。
そしてはじき出された答えが…
「この小さな料理人に惚れている」
だった。
「男を落とすにはまず胃袋から」
至極名言だと思った。
身をもってそう思う。
そう、落とされた。
何に?
──恋に
──そう、満足していたのに…
小松がトリコの為に料理を振る舞う。
その全てがトリコを満たす。
胃袋だけではなく。
幸せ──、そう、「幸せ」と言うものに胸が満たされる。
じわじわと這い上がる幸福感。
ついぞ最近まで味わったことのない感情。
これが「恋」だと自覚したトリコは、食事だけでは満足できなくなった。
「手に入れたい」
急速に。
だが、手段を間違えれば失う事は目に見えている。
出来るなら全てを。
何を以て「全て」とするかは定かではないが、まずは形だけでも手に入れたい。
形───
「コンビ」としての立場なら手に入れた。
それでは足りない。
小松の全てのベクトルがトリコに向いていてほしい。
ただ、それは無茶な願いだとわかっている。
小松という男は自他ともに認める料理馬鹿だ。
それは嫌というほど身に染みてわかっている。
事あるごとに「料理、料理」と口にするあの男に何度口を噤んだ事か。
(昔なじみに言わせれば「トリコもどっこいどっこいだ」と呆れながら首を振るだろう)
せめて、料理で満たされた脳みそのほんの隙間にトリコが入り込む余地があれば良い。
それくらいは許されたい。
小松が聞けば「そんな…」と頬を朱に染めて俯いていただろう。
「隙間どころか…」と呟きを口にして。
トリコは気づかない。
トリコの一挙手一投足に全身全霊を傾けて、トリコがこぼす溜息すら取りこぼさないように注視する小松に。
その行為が、想いが、どういった事なのか一切気づかない。
「どうしたら…?…どうしたらって…」
ようやく顔を上げて小松に視線を合わせたトリコに、ほんの少し安堵の顔を見せた小松。
しかしすぐに再び硬直する事となる。
「そうだな…料理の事は料理人に聞くのが一番だな」
「は、はい!ボクに出来る事はなんでもします!なんですか?どうしたらっ…?!」
やけに喰い気味に顔を寄せてくる小松にほんの少々ひるみ、身体を後ろに反らせて間を取りながら。
「いや…、や。…やっぱ駄目だ、お前に言うのは」
顔をそらして目線をはずし、空になった取り皿をなんとはなしに見る。
だから気付けなかった。
落胆した小松に。
(「どう料理されたい?」とは本人に聞くもんじゃねーだろう)
「オレも食材の声が聞けたらなぁ…」
はぁ、と小松から顔をそむけて洩らした言葉。
もちろん、この場合の「食材」は小松本人であるのだが───
小松は酷く傷ついた表情で、眼尻からは涙が溢れ落ちそうになっている。
トリコは気づかない。
失態を犯した自分に。
そう、トリコは思案した。
どうすれば小松を手に入れれるのか。
そして安直に「身体」を手に入れたいと思ったのだ。
まずは肉体関係から、と。
しかし、今まで男相手に欲情した覚えも経験もなく。
だが、相手が小松ならいける!、と直観で思ったトリコは深く考えなかった。
いざ事に及んでしまえばこっちのもの、と。
が、さすがにストレートに小松に言えば拒否されてしまうだろう。
断られるのは嫌だ。
だから小松にどう伝えればいいのか、珍しく思案に暮れたのだ。
そして最悪の結果になっているのに気付かず。
(やっぱり…やっぱりボクじゃ駄目だったんだ…!!)
思案に暮れるトリコの前から静かに後ずさりしてその場を離れた小松。
目から零れ落ちる涙を袖で拭いながら、嗚咽はかみ殺して。
(トリコさんは優しいから…ボクを否定するような言葉を言えなかっただけで)
小松の料理に満足出来なくなったのだ。
彼を満足させることが出来ない料理。そしてそれを作った料理人。
食べる人が納得のいかない料理を口にさすなんて料理人失格。
常にそう考える小松は、今回の失態を悔いた。
(手を抜いた覚えは一切ない。…だけど、あの人は気に入らなかったんだ)
トリコの好みは熟知している。味覚だけではなく、触感、温度…すべて彼好みの料理にした。
(…つもり、だったけど…それはボクのただの慢心だった…)
その日の気温、湿度、環境、体調…それらすべてを考慮し、そのうえで食材のもっとも美味しいと思える調理法を施し、「料理」として皿に出す。
レストランで、すべての客にそういった方法で出来ればよいのだが、さすがに客個人個人の体調まではわからないので、ある程度は想像でまかなう。
だが、今日はトリコただ一人の為に全身全霊をかけて料理した。
(なのに…)
美味しく食べてもらえなかった…
トリコにだけではなく、食材にも申し訳ない。
(いつから…いつからなんだろう…)
トリコが自分の料理に満足しなかったのは?
昨日?今日?…もうずっと前から?
それなのに、「美味しい」といってくれていたのか?気を遣わせていたのか?
「コンビになってくれ」と言われ、心底驚いた。そして嬉しかった。
自分なんかでいいのかと、何度聞きそうになったか。
「やっぱりお前じゃダメだ」
そう言われるのが怖くて、聞けなかった。
せめてはっきりと、否定の言葉を聞くまで、夢を見ていたかった。
そして期待に応えたかった。
(だけど──)
トリコはもう、小松の料理に飽きたのだろう。
より良い料理人を見つけたのかもしれない。
常に前を、上を目指すあの人だ。現状に満足なんかしない。
だからこそトリコで。
小松の憧れる、大好きな美食屋で───
(自分から「コンビ」の話を持ち出したから…言えないのかもしれない)
解消してくれと。
優しい、気も、体も大きなあの人は人を傷つけることを好まない。
だから、小松が傷つかないように言葉を探し、言いあぐねいているのだろう。
(はっきり言ってくれれば良いのに)
なら、自分はあっさりと身を引いただろう。
身を引く、と言うのがこの際正しいのかどうかはわからないが、多分、笑顔で「今までありがとうございました」と言って去るだろう。
隠れて泣くのは許してほしいが。
良い夢を見させてもらった、勉強になったと。
そして次のコンビになる人に嫉妬を隠しながら応援するだろう。
トリコさんのフルコースは自分が料理したかった。
彼の横に立ち並びたかった。
喜びを分かち合いたかった。
苦楽を共にしたかった。
全てが自分の身に余る願望だったのだ。
(トリコさんに食材の声が聞こえたら…?)
先ほどのトリコがこぼした発言を考える。
より多くの食材を発見し、食し、活躍の場を広げるだろう。
(ますますボクの存在価値が無くなるって事だ)
小松の唯一の特殊能力ともいえる「食材の声を聞く」。
トリコとともに行動するようになって発露したこの能力。
いわばトリコ自身の能力だと言ってもいい。
(だって、トリコさんがいなければ…ボクは多分、食材の声なんて聞けなかった…)
出来るなら、この能力を差し出したい。トリコの為になるのなら。
能力だけでなく、身も心もすべて。
トリコに心酔していた。トリコに出会う前から。
出会ってからは憧れだけで済まなくなった気持ちを抑えるのに必死だった。
(もしかして、気づかれたのか…?)
一生隠しておく気持ちに気付かれたのか?
それが重荷になったのか?
料理にも出ていただろう。
それが、多分彼の舌に合わなかったのだろう。
(ごめんなさい…)
ただただその想いが小松の胸を占める。
(貴方の料理人で居たかった。)
ただそれだけだった。
それ以上は望まなかった。
出会った頃は。
手早く調理場を片づけていく。
トリコの為に大量に料理をした台所は、すでに綺麗に片づけてあるが、それでもなお、水滴一つ残らないように掃除する。
(何度…何度この場で彼の為に料理をしただろう)
トリコの住むスイーツハウスで、彼だけの為に料理を幾度となく作ってきた。
そしてこれからも作っていくことに微塵も疑いを持っていなかった。
今の今まで。
スイーツハウスには多種多様の調理器具がある。
小松自身が持ち込んだもの、小松の為にトリコが買い揃えたもの。
全てを持ち帰るには物理的には無理だった。
(処分…してくれるかな…?気にしなければ、また使ってもらえるだろうし)
小松の次に選ばれた料理人が。
トリコが調理器具を使うような料理をしないのは目に見えている。
ならば、次に器具が活躍するのはトリコが選んだ料理人が、このスイーツハウスに招き入れられて、トリコの為に料理を振る舞う時だろう。
その時を考えて、小松は息をのむ。
(──大事に使ってもらえるといいね)
痛む胸をあえて無視して、今まで使ってきたそれらの道具に思いをはせる。
いつも使っていた頻度の高い道具を手早くまとめ、鞄に詰め込む。
逃げるんじゃない。
そう、逃げ出す為にこの場を去ろうというのではない。
トリコの口から決定打を聞く前に、逃げ出したい気持ちもある。
だが、一度でもトリコに「コンビ」として選ばれた身だ。
ここで自分が、自分の力のなさに逃げるのはトリコに対して失礼だ。
彼を落胆させた自分に落ち度がある。
なら──
もう一度、彼に認めてもらえるように努力すればよい。
それだけだ。
(彼に対する憧憬以上の気持ちが障害だと言うなら、捨て去ることは無理だが、今以上に隠しきれば良い。)
持ち前の前向きな考えで、小松は心を決める。
常に持ち歩いている手帳の一頁を千切り、ペンを走らせ、台の上に置く。
そしてトリコに声をかけることもなく、小松はスイーツハウスを後にした。
ただただ思案に暮れていたトリコは気づかなかった。
(うーん…どう言やいいんだろうな…変に言えばアイツ絶対に引くし…)
すでにスイーツハウスから小松の気配が消えている事に。
(だいたい、アイツの作る料理が美味すぎるから悪いんだよな〜。もうアイツの料理以外満足できねぇし)
下手に小松を怒らせて、料理を作ってもらえないのは困る。切実に。
すでにトリコの細胞は小松の料理を欲してやまない。
そう、細胞ごと作り変えられたといってもいい。
(アイツを失うことは絶対にイヤだ)
躰が、気持ちが、胃袋が、小松を求めている。
嘘偽りなく。本能ごと。
笑顔が見たい。笑いかけてほしい。出来れば自分にだけ。
小松の笑顔を思い浮かべて自然、トリコの口角が上がる。
ついさっき、真逆の表情をさせていた事にも気付かずに。
そこでようやく気付く。
「───小松?」
小松の気配が消えていることに。
いつも通り、トリコが食事をした後に出る大量の食器を洗うことに精を出しているのだろうと思っていたが、目の前の空いた皿も下げに来ない。
食後に出してくれるお茶も運ばれてこない。
「小松ー?」
声をかけても返事が返ってこない。
「なんですか〜」といつどこで何をしていても、ひょっこり顔を出すはずなのに。
空いた皿を手に台所に足を運んだが、小松の姿は無く。
いつも綺麗に使われているが、いつも以上に物がしまわれた台所に視線を這わす。
流しに皿を置くと、台の上に置かれたメモに気付く。
『今までお世話になりました。これ以上足手まといになりたくないので、修行に出ます。 小松』
「小松ぅぅぅうううう────?!!!」
あわててスイーツハウスから飛び出したトリコだが、すでに小松の影も形もなく、いつも近くにいるはずのテリーの姿もなかった。
数週間後、一切の消息を絶った小松をようやく見つけたトリコは小松の誤解を解くのに苦労した、という話。
(小松が消息を絶つのに協力した面子はやけに小松に協力的で、トリコがありとあらゆる労力を尽くし「どんだけ周りに愛されてんだよ」といらぬ嫉妬と己の気持ちを再確認したのは言うまでもない。)
-終-
・トリコで初めて小説として形にしました。いかがだったでしょうか?
元々漫画ネタでネームを切ってたんですが「モノローグが多すぎで漫画になりゃしねぇ!」と。
はじめもっと短い話だったんですが、思ったより長い文面になってしまいました。
すれ違いネタは大好きです。誤解が解消される瞬間が好きなんですが、自分で書くと、どうもうまいコト表現できません。
もっと甘く仕上げるはずでしたが、恥ずかしくなりました(オイ)
トリコさんの告白が上手くいって、小松が受け入れてラブラブになる今後談を誰かください(*´・д・)ノ
※閲覧ありがとうございました。